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大阪地方裁判所 平成7年(ヨ)1819号 決定

債権者

B

右代理人弁護士

福本康孝

川西渥子

債務者

株式会社ダイエー

右代表者代表取締役

中内

右代理人弁護士

門間進

角源三

主文

一  本件申立てをいずれも却下する。

二  申立費用は債権者の負担とする。

事実及び理由

第一事案の概要

本件は、債務者に雇用され、他社へ出向中の債権者が、出向先から現金一〇万円を着服したとの理由で受けた懲戒解雇の無効を主張して、地位保全及び賃金仮払い等を求めた事件である。

一  申立の趣旨

1  債権者が債務者の従業員の地位にあることを仮に定める。

2  債務者は、債権者を従業員として仮に取り扱え。

3  債務者は、債権者に対し、平成七年六月一日から毎月二五日かぎり、月八九万三一〇三円あてを仮に支払え。

二  基本的事実関係

疎明資料及び公知の事実に、審尋の結果を総合すれば、以下の各事実が疎明される。

1  債務者は、大型スーパーマーケットの経営等を行う株式会社であり、その就業規則六一条一一号には、懲戒事由として、「職務または権限を利用して不正な手段により自己または他人の利益をむさぼったとき」と規定され、また、懲戒の種類として、六二条一項三号には出勤停止が、五号には懲戒解雇が規定されている。

2  債権者は、昭和四七年に債務者に雇用され、平成五年九月、総合警備保障等を業とする債務者の関連会社である株式会社朝日セキュリティシステムズ(本店所在地・大阪府吹田市(以下、住所略)、以下「朝日セキュリティ」という)に出向し、平成六年九月から、西日本統括本部業務部次長の地位に就いていた。

3  平成七年一月一七日、阪神・淡路大震災が起こり、朝日セキュリティにおいても対策本部が設置され、債権者は、その総合事務局の責任者の一人として業務に従事した。

4  債権者は、同年一月二三日、前夜に開かれた朝日セキュリティの東日本統括本部からの応援者二〇名分の激励会の食事代の仮払金精算をする際、領収書の金額欄の一〇万の桁の「1」の数字の上から「2」の数字を重ねて書き、領収金額を一六万四三六八円から二六万四三六八円に書きかえる方法で改ざんした上、経費請求申請書に右書きかえ後の金額を記入し、債権者が仮払金として預かっていた四〇万円の中から二六万四三六八円を支出して仮払金の精算を行い、一〇万円を着服した(以下「本件着服行為」という)。

5  同年二月八日、経理チェックの過程で右の着服行為が発覚し、債権者は、朝日セキュリティの財務経理室長から右の行為を指摘され、顛末書を書くとともに、その場で一〇万円を返却した。

6  債権者は、同月一一日、当時大阪市都島区にあった朝日セキュリティの本社に出向く際、JR京橋駅の階段で足を滑らせて転倒し、二週間の入通院をした。そのため、朝日セキュリティでは、同月一五日、債権者について業務部次長の職を解き、人事室付とした。

7  同月二五日、債権者は、朝日セキュリティから、自宅待機を命ぜられた。この自宅待機は、同年六月二日まで続いた。

8  朝日セキュリティは、同年六月二日、債権者に対し、本件着服行為につき、同年五月三一日付けで懲戒解雇する旨の意思表示を行った。

9  債権者は、同年六月三〇日、右意思表示の無効を主張して、債務者及び朝日セキュリティに対し、地位保全及び賃金仮払等を求めて、大阪地方裁判所に本件申立てを行った。

10  債務者は、出向者である債権者についての懲戒を朝日セキュリティが行うことはできないことから、改めて、自ら懲戒手続を進めることとし、同年七月一一日付けで債権者の出向を解き、同人を債務者の人事室付とした。

11  債務者は、同月一七日、人事本部において債権者から事情聴取を行った。その後、債務者の賞罰委員会規則に則り、同年八月三日賞罰審議委員会を開き、債権者も出頭して、質疑を受けた。

12  債務者は、賞罰審議委員会からの答申を受けて、同年八月一〇日、債権者に対し、本件着服行為を理由として、懲戒解雇の意思表示を行った(以下「本件解雇」という)。なお、債務者は、右懲戒解雇の意思表示とともに、債権者に対し、解雇予告手当を提供したが、債権者から受領を拒否されたため、同日、債権者名義の預金口座に振り込んだ。

13  債権者は、同月一一日、賞罰委員会規則一二条に基づき、右意思表示に対して異議申立てを行ったが、この申立ては、同月二四日却下された。

14  債権者は、同年九月一三日、本件申立てのうち、朝日セキュリティに対する分を取り下げた。

三  争点

1  本件着服行為は就業規則六一条一一号に該当するか。

2  本件解雇は解雇権濫用にあたるか。

3  債権者は、本件解雇に先立ち、前記二7のように、朝日セキュリティから、三か月余りにわたり自宅待機を命ぜられているが、このことは、実質的に就業規則六二条一項三号の出勤停止にあたり、本件解雇が二重処分として無効になるといえるか。

4  本件解雇が行政官庁の認定を受けていないことが、労働基準法二〇条三項、一九条二項に違反するか。

5  債務者の賞罰委員会規則七条は、賞罰審議委員会は、原則として、事案発覚後一〇日以内に開催すべきことを定めているが、前記二11の賞罰審議委員会が本件着服行為発覚後六か月以上を経て初めて開かれていることが、これに違反し、本件解雇を無効ならしめるか。

本件の争点に関する当事者の具体的主張は、本件記録における債権者の地位保全の仮処分申立書及び平成七年九月一三日付け主張書面並びに債務者の答弁書、平成七年八月二九日付け及び同年九月二七日付け各準備書面のとおりであるから、これらを引用する。

第二争点に対する判断

一  就業規則該当性について

前記二4で疎明された本件着服行為の態様によれば、この行為が、職務または権限を利用して不正な手段により自己の利益を「得た」ものであることは明らかである。

ところで、債権者は、本件着服行為は、阪神淡路大震災後の過酷な労働によって心身の耗弱した特殊な状況下に行われたものであり、かつ、一回限りの偶発的な行為であるから、自己又は他人の利益を「むさぼった」ことにはならず、就業規則六一条一一号には該当しないと主張する。

確かに、「むさぼる」の語は、反復性や貪欲性を語感として一応有するが、それ自体、明確な外延があるものではなく、右の債権者主張のような状況下に行われた一回限りの偶発的な着服行為が就業規則六一条一一号に該当するものと解しても、必ずしも文理に反するものとはいえない。そして、同条に列挙された他の懲戒事由と比較対照すれば、むしろ、この一一号は、本件のような会社の現金の着服等の財産犯的な行為で、有罪判決を受けていないものを類型的に定めたものと考えるのが自然である。

したがって、債権者の右主張は採用できず、本件着服行為は、債務者の就業規則六一条一一号に該当するものというべきである。

二  解雇権の濫用の有無について

1  (書証略)に、審尋の結果及び公知の事実を総合すれば、本件着服行為の経緯については、以下のとおり疎明される。

平成七年一月一七日未明に阪神大震災が発生し、債権者は、その直後から出社を命ぜられ、部下を指揮して、通常の業務体制の半分の人員で、食料の不足場所の確認、顧客の崩壊場所の確認、従業員の安否の確認、食料品の買い出しの指揮、運搬車の確保、応援者の寝泊まりの対応等の業務に追われた。また、債権者は、後日のマニュアル作成のため、時系列で記録をとるよう指示されたため、右業務を細かくメモして記録した。また、夜は、全国各地からの応援者の慰労会等の手配、出席、金銭の精算の仕事を担当した。このような状況下で、債権者は、同年一月一七日は帰宅できずに朝日セキュリティの社屋で徹夜し、その後も、債権者の帰宅時刻は午前〇時ころ、出社時刻は午前七時三〇分ころ、起床時刻は午前六時という状態が休日も含めて毎日続いた。

2  ところで、債務者は、本件着服行為が、計画的なものであると主張する。しかし、このことを裏付ける具体的な疎明資料はなく、むしろ、前記で疎明された着服の手段が比較的幼稚であったことや、前記1で疎明されたような行為に至る経緯にもかんがみると、本件着服行為は、計画性はなく、いわゆる、魔がさした偶発的なものであったと推認するのが相当であろう。

3  そして、前記1で疎明された経緯や、(書証略)にも照らすと、本件着服行為当時、債権者は、震災後の対応業務のストレスの中で、肉体的のみならず、精神的にも、かなり疲労していたものであることは、容易に想像される。しかし、当時の債権者の精神的状態は、いまだ、事理弁識能力が欠落し、あるいは著しく劣っていたものとまでの疎明はなく、前記のように、仮にその動機が魔がさしたことによるにせよ、当時において、行為の重大さに思いを致し、着服を思い止まることは十分に可能であったと考えられる。そして、着服金額が、一〇万円という、小遣い銭よりも高額で、比較的まとまった額であることや、西日本統括本部業務部次長という債権者の地位にもかんがみると、精神的な疲労や、行為の偶発性をもって、債権者の本件着服行為の責任を軽減することは、企業秩序の維持の観点から、なお困難といわなければならない。

そして、審尋の結果によれば、債務者においては、本件のような着服行為については、従来からかなり厳しい処分をもって臨んできたものであることが疎明されるところ、小額の現金の着服等が比較的発覚しにくい職場である大型スーパーマーケットの経営を主たる業務内容とする債務者においては、かかる処分傾向も、いちがいに過酷に過ぎるものと評価することはできない。そして、(書証略)により疎明される債務者における過去の懲戒事例に照らしても、本件解雇が特段重きに失するとはいえない。

4  以上のような事情を総合考慮すれば、着服金が本件着服行為の発覚後直ちに返却されたことや、債権者の過去の業績等(書証略によれば、債権者は、過去において、今回のような不正行為を行ったことは一度もないこと、債権者は、債務者に入社後まもなく、幹部候補生となるため、「スーパー大学校」を四〇日間受講したこと、社内の通信講座である「売場管理実務講座」を昭和五〇年一二月に、「空調技術講座」を昭和五一年二月に、「ニューマネジメントマスターコース」を昭和五五年六月に、「経営財務コース」を昭和六二年三月にそれぞれ受講し、「経営財務コース」では優秀賞を受賞したこと、昭和六一年七月には、「V革命フィットネス作戦」で社長賞を受賞し、昭和六二年上期・下期にもそれぞれ社長賞を受賞したことが疎明される)、疎明資料により疎明される家族状況を考慮にいれても、なお、本件解雇について、解雇権の濫用があったとまでいうことはできないものというべきである。

三  二重処分性について

前記のとおり、債権者は、朝日セキュリティから、平成七年二月二五日から六月二日までの間、自宅待機を命ぜられたが、(書証略)によれば、出勤停止(就業規則六二条一項三号)は、給与を支給しないものであるところ、審尋の結果によれば、前記の自宅待機期間中は、給与が支給されたことが明らかである。債権者の主張するように、仮にこの自宅待機期間中、著しい精神的苦痛を受けたとしても、事実上の問題にとどまり、このことをもって、直ちに、右の自宅待機が実質的に出勤停止にあたるとか、本件解雇が二重処分にあたって無効であるということはできない。

四  労働基準法二〇条三項、一九条二項違反の有無について

債権者は、本件解雇は、行政官庁の認定を受けていないから、労働基準法二〇条三項、一九条二項に違反する無効のものであると主張する。しかし、同法一九条二項の行政官庁の認定は、解雇予告手当を支給しない解雇の場合に必要なものであって、懲戒解雇の場合であっても、解雇予告手当を支給する場合は、右認定は要しないものであることは、右各項の解釈上明らかというべきところ、前記で疎明されたとおり、債権者は、解雇予告手当の支給を受けているから、本件解雇が労働基準法二〇条三項、一九条二項に違反する無効のものであるということはできない。

したがって、債権者の右主張は理由がない。

五  賞罰委員会規則違反の主張について

(書証略)によれば、債務者の賞罰委員会規則七条は、賞罰審議委員会は、原則として、事案発覚後一〇日以内に開催すべきことを定めているところ、前記二11のとおり、債務者の賞罰審議委員会は、本件着服行為発覚後六か月以上を経て初めて開かれている。しかし、右賞罰委員会規則七条の規定が効力規定であるとは到底解されないから、この点に関する債権者の主張も採用できない。

第三結論

以上によれば、債権者について同情すべき面もあるにせよ、本件解雇は有効であり、争いある権利関係についての疎明がないこととなるから、本件申立てをいずれも却下することとする。

(裁判官 原啓一郎)

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